古本リサイクル初参加

誕生日やクリスマス、バレンタインのイベントのプレゼントって、選ぶのが大変ですよね。相手が大切な人だからこそ、考え込んでしまいますが、友達のカップルは、必ず本を贈り合うと決めているそうです。
二人は元々、自宅の一室を書庫にするほどの読書好き。だからこそなのでしょう。共通の趣味があることもですが、こうして同じものを交換できるって、とても素敵だと思います。
プレゼントとは違いますが、今度図書館で、古本リサイクルが行われます。不要な物を持ち寄って、必要な物を持ちかえる、完全ボランティアのイベントです。本棚から適当な本を見繕い、当日が来るのを楽しみにしています。こういうときに期待しているのは、普段なら選ばないものを見られること。どうしても欲しいものは購入しますから、それ以外の出会いを求めているんです。始めて行く場所なのでちょっと不安はありますが、持ち込みで重くなった鞄を抱えて、向かいますよ。帰りもこのバックが、いっぱいになっていると良いのですが。開催は数日間です。さて、どの日に行くのがいいかしら。最初だとまだ数が少ない気もするし、後だと良いものがなくなっている心配もあるので、どうしようと迷っています。

黒服の少女が教えてくれたこと

「黒猫に黒服なんて、まっくろくろだわ」これは有名な『魔女の宅急便』の主人公、キキが言った言葉です。季節とともに人々の服装が変わるたび、思いだします。実は私が、ジブリ映画で一番好きな作品なんですよ。児童書のシリーズも、一通り読みました。
鮮やかなパステルカラーの春色から、爽やかな夏の空をイメージする青と白へ。それから紅葉を模した赤や黄色になり、山の木々のような茶や黒、灰色へと、服の色は、一年の間にゆったりと変わっていきます。特別に勉強したわけではないので、その意味するところはわかりませんし、人の心に与える影響云々を語ることもできませんが、この流れを見ていると、時間は確かに進んでいると感じるんですよね。そして、選べることがどんなに素敵なことかも実感します。少なくとも私たちは、常に黒猫に黒服ではなくていいんですから。
真っ赤なリボンをつけた少女の前向きさを、ずっと羨ましいと思っていました。ほうきに乗るという唯一の特技がない自分では、彼女のようにはなれないと。でも、空を飛ぶ力は絶対ではありません。自分に嘆いても始まらない、私たちは選んで進めるのだから。そんなことを、小さな魔女は私に教えてくれたのです。

旅行ブログで二人旅

小説に出てきた場所を旅したいと思います。でも実行するには先立つものも必要ですし、日程も調整しなければいけません。国内ならばまだしも、海外となると難しい……ということで、私が楽しみにしているのが、旅番組や、旅行記です。
後者は書籍に限りません。最近は皆さんがたくさんのブログを書いていますから、それをたどると素敵なものがあったりします。お金もかからず、ブラウザ上で世界各国を見て回れるのです。お手軽でお気軽で、なんて素敵なのでしょう。
たくさんの写真や、レストランの紹介、観光地の案内に、渡航の注意点などなど。ガイド本なんていらないのでは、と思うくらいの情報量が詰め込まれているサイトもあります。そういったところは見ごたえがあり勉強にもなるのですが、私は日記調の、こじんまりとしたものも好きですね。
まるで、執筆された方とお喋りをしながら、個人のアルバムを覗いているかのような感覚。相手がどのような人かわからずとも、声が聞こえてくるような気さえします。ひとつの国に特化されている方の場合は、ディープな世界に浸れたりもします。本当に、人それぞれな旅日記。お気に入りの場所をぐるぐる巡り……現地に行けるのはいつでしょうね。

地図で知る探求心

「アイルランドとアメリカって、地図の裏を進めば早いんだよね」と、友達が言い出したときは驚きました。正直、その言葉の意味がまるでわからなかったんです。彼女は、私が首を傾げた様子に気付いたのでしょう。すぐに「ほら、日本で見る世界地図は、日本が中心だから……そのあたりの海は載ってないんだよ」と説明を加えてくれました。そういえばそうかも知れません。
私はすぐに、パソコンに数個の単語を入力して、インターネットを検索しました。アイルランド……では難しいかと思ったので、イギリス中心の世界地図を探すためです。それはすぐに見つかりました。ずっと使ってきたものとはあまりにも違って見えて、とてつもない違和感です。でもその国では、この形で見慣れているんでしょうね。
今回のことは、視点が変われば見えるものも違ってくるのだということを、私に教えてくれました。物自体はまるで同じなのにと、とても不思議な感じがします。同時に、自分がいかに凝り固まった頭を持っていたか、実感しました。他国で暮らしたことがないから、というのは言い訳です。だって興味を持つことさえできれば、こんなにも簡単に、情報は手に入るのですから。探求心は、失いたくないものです。

映画の視聴はお手軽に

先日、動画サイトで配信されていた映画を見ました。画質的に、大分古い物だったと思われます。自宅のパソコンで、こんな長編が簡単に視聴できるというのは素晴らしいですね。ネットならばテレビとは違い、うっかり見逃した作品の再放送を待つ時間もありません。
さて、その映画はロシア語と英語の両方の音声が流れていました。もとからあった声の上に、違う言語を重ねて、そちらの国で放送したのでしょう。日本語は字幕です。私は当然文字を追って内容を理解したのですが、これ、両国の言葉がわかる人は、微妙な違いを楽しめるのでしょうね。
外国作品の字幕に出る文言を作るときは、実際の台詞をかなり意訳していると聞いたことがあります。書籍の翻訳も、直訳はけしてしないのだとか。さらに動画の場合は、この尺にこれだけのものを収めてなくてはいけないという理由もありますから、翻訳家はさぞ苦労されていることでしょう。
そんなことを考えながらではありますが、日本とは大分違うテイストの作品に、笑ったり泣いたり大忙しでした。お勧め作品として、画面に出てきただけのものをクリックしただけなのに、こんなにたくさんの刺激を貰えるなんて。ネット動画、お手軽で素敵です。

ピースがはまる喜び

子供の頃、ジグソーパズルが大嫌いでした。だって、ピースの絵柄が似ているんですもの。「まずは四隅を見つけて、外側から進めていくんだよ」と親は教えてくれましたが「そんな方法でやったって、うまくいくわけがない」と思っていました。
大人になった今もパズルはしませんが、じわじわと周りを固めて、最後にすべてが完成する感じ」は、よく味わいます。それは、テレビを見ながら、メモを取るようになったことが理由です。
動画か、書籍か。比較をすれば、情報量は明らかに本の方が大きいでしょう。しかし、綺麗な画像がつくことを加味すれば、頭に残る率は前者の方が高いもの。学習を兼ねての視聴の中で、時折、かちりと記憶のピースがはまることがあります。
目の前で見ている番組と、過去に読んだ小説のワンシーンの一致、という場合が多いですね。あの場面に出てきた○○とは、こんなものだったのか。想像していたのと違うな。そういったことに気付くと、なんとも言えない喜びと興奮を感じます。疑問とも感じていなかったことに、うっかり答えがでてしまった、それが思いのほか嬉しいと、そんな気持ちでしょうか。幼少時には理解できなかった楽しみを、今になって知った気分です。

定番料理のアレンジ法

夏場は素麺、冬場は鍋物。わりと定番ですね。友人の家では、各季節、それが週に四日はあるそうです。「嫌いじゃないけれど、さすがに飽きるんだよね」と、彼女は苦笑していました。家族が好きだから諦めてはいるけれど、ネットを使って調べるレシピも変わりばえしないし、とも言っていました。
周囲からそんな話を聞くたびに、私は、スーパーのレシピカードを見ることを勧めています。カードは食材を買うついでに貰えますから、入手は簡単です。しかも季節で特集があったりもしますし、なかなか楽しめるんですよ。
紙面が限られているからでしょう。レシピはなにかの素をアレンジしたりする簡単なものが多く、しかも古典的メニューは少ないので、私にはかなり発見が多いです。我が家の方ではスーパー独自のものも貼ってあったりして、それも重宝しますね。
多くの人が頼りがちなインターネットは、たくさんのことが調べられて便利ですが、情報量が多すぎて疲れてしまうという欠点もあります。探してみれば、近くにだっていろんなネタが転がっているもの。今まで見ていなかった場所なら、なおさらです。
結局友人は、手に入れたレシピをさらにアレンジして、新規メニューを作っているとのこと。役に立てて良かったです。

「好き」は何よりも強い

いつだったか、テレビで「地元の地図を作ろう」という番組をやっていました。若者が都会に出て、高齢者ばかりとなってしまった田舎町の、集客作業の一環です。
リュックを背負い、バインダーを手に持って、少ない店舗を巡るメンバーの姿に、私は、小学校時代のキャンプで行った、ウォークラリーを思いだしました。慣れない山道を子供たちだけで歩くという状況に、とてもどきどきしたことを覚えています。でも今回土地を回る人達は、それよりもはるかに大きな使命感に燃えています。これが完成すれば、町が発展すると考えているからです。
何に対しても言えることですが、「好き」という気持ちは、なにより強いと思います。苦労を苦労と感じることなく、ひたすらに情熱を注ぎこめるからでしょうね。過疎化が進む町を離れるのではなく、なんとか守りたいと考えている彼らは、地元を心から愛しているのでしょう。だからこそ、この前進力なのです。
そこまでの力はないにしても、私にも夢はあります。それは、年をとったら、自宅を近所の子供たちに開放することです。たくさんの絵本をそろえて「自由に読んでいいよ」って言ってあげたい。そんな時代かと言われれば「そうでもない」と思いはしますが、いつか叶えられたら、嬉しいです。

単調な日々が輝くとき

友達に勧められた本を、インターネットで購入しました。普段本を買う時は、事前に内容をチェックする私。でもその日は、連絡が夜だったことと、忘れてしまわないうちに欲しかったのとで、事前チェックは何もしませんでした。そして数日後、自宅にその本が届いたのですが、思わず友人に感謝しましたね。あなたが好きそうだから、と言われていたそれが、本当に好みにぴったりだったんです。その本は、外国人男性の日常を書いたエッセイでした。私は小説でも漫画でも、そして今回のようにエッセイでも、日常ネタが大好きです。どきどきする恋愛話も、すかっとする冒険話も素敵だけれど、やっぱり波乱万丈ではないものがいい……そう思うのは、日々を描いている話を書く人は、毎日を丁寧に生きていると感じるからかもしれません。私は、何気ない時間の中に話になるものを見つけるには、それなりの視点を持っていなければいけないと思います。変わらない中に『特別』を見つける目です。それを持っている人はすごいとも思います。だって、普段どおりの時間を、その感性で、きらきら輝くものにできるんですもの。エッセイ本、いっきに読むのは勿体ないので、毎日少しずつページをめくることにします。

美術館で感じた歴史の息吹

友達に誘われて、美術館に行ってきました。私は特に歴史や美術に造詣が深いわけではありません。だから正直に言えば「ちょっと面倒だな」と思っていたのですが……たまに見る美術館は圧巻でした。目の前に並ぶたくさんの油絵には、絵の具の盛り上がりが見えます。タッチがどうこうとか、配色がどうとか、そういうことはぜんぜんわかりませんが、この絵筆を置いただろう跡をつけたのは、何百年も前の人だと感じると、とても感動しました。その時代に生まれた絵が、今も生きている気がしたのです。最近はインターネットで、何でも調べることができます。有名な絵だって、ちょっとキーボードを叩けば、どんなものかくらいならすぐ見ることができますよね。必要ならば、それで十分だと感じていた自分が情けなくなりました。画面で見る絵では全体像やそれに基づく史実はわかっても、当時の息吹は感じられません。美術館で見るものとは、まるで別物なんです。この気持ちを忘れたくなくて、帰りにショップで、お気に入りの絵が印刷された、絵葉書を買いました。本当は展示物すべてがのったパンフレットや、歴史を書いた本が欲しかったのですが、お財布と相談してやめました。残念です。絵葉書は机の前に飾っています。